3.11練習・・・荒浜

杜の都」・・・100年前の町名を辿る

 

「荒浜」

明日3月11日で東日本大震災から8年が経過した・・・

南小泉から霞目を経て約8km深沼街道を東進すると

旧七郷村の荒浜に達する、半農半漁の海岸集落で

太平洋に臨み貞山運河に沿っている

俗には深沼と称している集落は

荒浜は400年程以前までは荒涼たる不毛の地で

 

慶長・元和の頃戦国武将たち越中・大学・但馬・掃部・土佐などが

難を避け入り込み土地を開墾し農業を始めた地

又網器などを作って細々と一集落をつくったりしながら生活

その後しだいに移民が集まり震災前の形になった

 

荒浜の地名は文字通りこの海岸一帯は太平洋に直面し

常に波が荒々しく船着き場には適さない

荒浜の海岸に押し寄せる波浪の音が仙台市街にも聞こえたことは

東北学院で教鞭をとっていた島崎藤村も語っているほどである

 

荒浜の別名、深沼の名は以前この付近には大沼・赤沼

北長沼・南長沼・川戸沼等大小の沼が点在し

それらの中に深沼と言われる沼があったことに

由来しているかもしれない

 

そんな荒浜を先の東日本大震災では大津波が襲い

800世帯2,200人が住んでいた集落では186人が死亡

建物は全て流出し壊滅した集落

往時の町内の面影を今に残す遺構は貞山運河と墓地のみ・・・

墓地もすべて流され現在のものはすべて新しくしたもの・・・

旧荒浜小学校(当時91人の児童は全員無事だった)の震災遺構は

旧住民の帰還を待っているが・・・・・・居住危険区域になって

いまは居住出来ない地域になってしまった!!!

 

~ ぶらりぶらりん ~